夕方の了然寺。境内の石段の一番上に腰を下ろしている梨花。砂利を踏む足音が聞こえてきて振りかえると、そこには黒袈裟姿の青年が立っていた。梨花は一瞬目を凝らした。
短く切った髪、表情も心なしか険が無くなり、若い修行僧そのままの雰囲気だ。
「……あんた誰?」
思わず梨花の口をついた言葉に、青年はちっと舌打ちした。
「ちっ、あんたか。謀ったな、師匠。なんでここ知ってんだよ」
ぞんざいな言葉使いで苦い表情になった顔は、梨花の知る肇のものだった。
「実家がすぐ近くでね。あんたのお嬢ちゃんを連れた航太に偶然会ったのよ」
「……」
「ちょっといい?」
「嫌だ、っつっても関係ねーんだろ」
「そうね。ちょっと顔貸して」
くいくい、と指を動かす梨花。肇は苦い表情で軽くため息をつくと、
「へいへい」
と返事をし、梨花を手水舎のそばの石の椅子に誘導した。
「ずいぶんこざっぱりしたのね」
「まあな」
「…………」
梨花はどう切り出したらいいのか迷い、しばらく沈黙する。
「何だよ、悪りぃけど俺もヒマじゃねぇんだ。話がないなら……」
「肇?」
女性の声がして二人がそちらを向くと、長身の美女が石段を登ってきた所だった。ショートボブの黒髪、シンプルな白シャツにブラックデニム、編み上げのハード調のエンジニアブーツ、モスグリーンのトレンチコート姿がよく似合っている。
「おう、ゆずる」
「式服、持ってきたぞ」
「ああ、すまないな」
ゆずると呼ばれた女性は、梨花の方を見て深く頭を下げた。梨花もつられて頭を下げた。
「槇島ゆずる、俺の許嫁だ。まあ、近いうちに妻になるがな」
「――!!」
肇のその言葉に、梨花の表情が一瞬にして曇った。激しい非難の瞳を容赦なく肇に投げつける。
「……どういう事?」
「どういう事も何も……」
ゆずるは二人の言葉の奥に隠された険悪な雰囲気を察したのか、沈黙して視線を交わさない二人に声をかけた。
「肇、おれは英照殿に話があるから」
「ああ、わかった。俺も後で行く」
ゆずるは梨花に一礼すると境内を本堂の方へ歩いて行った。その後姿を見送って、梨花は肇の方を向き直る。見つめるまなざしは厳しさを増していた。
「……本気、なの?」
「……あんたにゃ関係ない話だ」
苦虫を噛み潰したような表情でそう吐き捨てる肇に、梨花は思わず右手を上げ、その頬を強く打った。
「ってぇな」
「……あたし、言ったわよね? 航太を泣かせるような事したら一生許さない、って!」
「覚えてねぇな」
「なんなのよ、あんた! 航太が今どんな気持ちで――」
「うるせえ! あんたにゃ関係ねぇだろ!!」
肇が語気を荒らげ、吐き捨てるように言い放つ。その迫力に梨花は一瞬ひるむが、しかし言葉を続ける。どうしても言わずにはいられない。
「そうね、関係ない。でも、納得できないのよ。なんであんた達が離れなくちゃいけないの? なんであの子が、航太が泣かなきゃいけないのよ? あの子、『あなたの重荷にはなりたくない』って言ってたけど、なんでよ? なんでお互い好きで、必要なのに手を離すなんて――」
「好きだから、お互いが必要だからなんて単純な理由だけで一緒にいられる程、世の中甘っちょろく出来てねぇんだよ!!」
肇の激情。そして、長い沈黙。
「……もう何を言っても無駄なようね」
「……ああ」
梨花は深くため息を吐くと、ゆっくりと立ち上った。
「わかったわ。……でも、ひとつだけ言っておく。里見千尋が日本に戻って来たわよ」
「――!!」
肇のその瞳に大きな動揺があるのが、梨花にははっきりと見て取れた。
「……俺には関係ねぇ」
わずかに震えるその言葉。
「そう、ならいいわ」
ぴしゃりと言う梨花。
「二度とあの子の前には姿を現さないで。あの子のあんな苦しそうな顔、もう見たくないもの」
そう言い置いて、梨花は去って行った。その姿が見えなくなり、肇はちっと大きく舌打ちし、唇を噛みしめた。
「肇……肇?」
「……あ?」
何度目かのゆずるの呼びかけにやっと反応した肇だったが、心此処に有らず、といった雰囲気だった。
「悪い、少し聞こえた」
「……趣味悪りぃぞ」
自嘲するようにため息をつく肇。ゆずるは隣に腰を下ろした。
「気が変わったか?」
「……んな訳ねぇだろ」
低くうなるように答える肇。
「そうは見えないぞ」
「黙ってろ」
苦虫を噛み潰したような表情の肇に、ゆずるは軽く息を吐く。
「まあ、お前がどうしようが、おれにはどうでもいいが」
「あ?」
思わず声を荒らげた肇を、ゆずるは真っすぐ見つめた。
「おれは雷蔵を取り戻すだけだ」
その瞳に揺るぎはない。肇は軽く息を吐いた。
「お前は強いな」
「……そうでもない。今だって、……いつも傍にいたあいつがいない事実に押し潰されそうだ」
ゆずるがもらしたつぶやきは、そのまま肇の心に深く突き刺さった。
「でも、ここで立ち止まっていても、あいつは帰って来ない。あいつをこの手に取り戻すためなら、おれは何だってやる」
そう言って再び肇を見つめるゆずる。その真っすぐすぎる瞳。肇は軽く笑った。
「そう、だな。……ありがとう、ゆずる」
「……肇?」
「本来の目的を忘れる所だったが、お前のおかげで目が醒めた」
「……お前に『ありがとう』なんて言われたのは初めてだ」
驚きの表情を隠さないゆずる。二十年以上の付き合いがあるが、いつも互いに牽制しあうばかりで、本音を吐露したのは初めてだろう。
「はは」
肇は声をあげて笑った。
「どうだ、この際本気で嫁になるか?」
「はあ?! 馬鹿言うな!」
ゆずるの極端な拒否反応に、肇は高笑いした。
「ははは、冗談だ冗談」
「……ったく。まあ、冗談が言えるくらいなら、もう大丈夫だな?」
「ああ」
ゆずるの言葉の意図を汲み取り、肇はうなずいた。
ふと左手の薬指に目をやる。光るブラックダイヤのリング。
「大丈夫。必ず、やり遂げてみせる」
自分自身に言い聞かせるような肇の言葉。そして、まるで愛おしいものを見つめるようなその瞳にゆずるは気付く。
「肇」
「ん? なんだ?」
「……いや、なんでもない」
「なんだよ、変なヤツだな」
肇は薬指のリングに自然に唇を寄せた。
「大丈夫……必ず……」
まるで自分自身に言い聞かせるように、肇はそうつぶやいた。
こちら肇さんversion。同じく時系列は本編中、大ヤマ場直前。全然SSじゃないんだけどなあ、まっちゃん…( ̄▽ ̄;)
了然寺は都内某所にある肇さんの師匠的存在・英照様のお寺で、娘・愛美ちゃんは一時期ここで暮らしていました。
たぶん初登場がゆずるさんと雷蔵さん。この主従二人も書きたいんだよぉ〜! そして、お名前だけ登場の千尋さん、出番は少ないですがかなりの重要ポジです。
ぐはぁ、時間が足りねぇ……_| ̄|○
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