ONLY LOVE CAN BREAK YOUR HEART 肇version 2


 冷たいアスファルトに倒れている青年。そのコートは鈍い色に染まっている。
 ああ、これは夢だ。あの時の。加地が刺された時の、夢だ。
 駆け寄りその身体を抱き起すと……。
「――!!」
 か細い身体は自分の右腕の青年ではなく……。
「――こ、航太っ!」
 息を呑む肇。腕の中の航太の顔色は、まるで生気が感じられない程蒼白で、呼吸も弱弱しい。きつく抱きかかえた肇の掌にはドクドクと鮮血があふれる。
「……こ、航」
 呼びかけるとその瞳がうっすらと開く。
「は……じめ……」
 冷たい指が頬に触れた。しかし、次の刹那、瞳はゆっくりと閉じ、指は力なく肇の頬を離れた。
「――航太っ!!」


「――!!」
 無意識に突然起き上がる肇。滝のように流れ落ちる汗、荒い息。しばらく呆然と、夢と現実の境目がわからないまま動けない。
 いつもと違う部屋の景色と畳のにおいに、一瞬自分がどこにいるかさえわからなくなる。
 ふう、と大きくため息をつく肇。右手で額の汗をぬぐい、ふとその手を見つめる。夢の中で航太の血にまみれていたその手は、今は自分の汗でじっとりと濡れ小刻みに震えている。喪失感と虚無感が身体と心を覆っている。
「……夢、だ。これは、夢なんだ……」
 肇は自分自身に言い聞かせるように大きく息を吐いた。
「肇? 大丈夫か?」
 障子の向こうから声がかかる。
「入るぞ」
 壮年の男性が心配そうに肇を見つめている。
「……し、師匠」
 師匠と呼ばれた男性は森英照。この了然寺の住職で、肇の兄・(あきら)の知己である。肇を幼い時からよく知る、文字通り師であり、信頼のおけるもう一人の兄であり、よき理解者である。
「大丈夫か? だいぶうなされていたぞ」
「……だ、大丈夫です」
また(・・)見たのか?」
「……」
 肇は答えられない。その手はまだ震えている。
「もう英憲(えいけん)が道場に居る。お前も少し身体を動かせ」
 英憲とは英照の弟で、剣道においては肇と腕を競っている。肇が顔を上げると、英照はゆっくりとうなずいた。師匠なりの配慮である事を肇はよく理解していた。
「はい」


     ☆     ☆     ☆


 英憲と小一時間ほど汗を流し、水垢離をして身体を清めた頃には、肇の心も落ち着きを取り戻していた。
「行くのか?」
「はい」
 英照の問いに答える肇に迷いはなかった。真っすぐな瞳で英照を見つめ、そして深く頭を垂れる。
「師匠、お世話になりました」
「……戻ってこい(・・・・・)、必ず」
 しかし、その言葉に明確な返事はなかった。英照は肇の後姿を見送り、ふうと息をついた。


 
鎌倉の(たかむら)本邸に向かうレクサスの車内。ハンドルを握るのは志麻、そして後部座席には肇とゆずるが座っている。
「……肇」
「ん? どうした?」
 じっと腕組みして虚空を睨んだままの肇に、ゆずるは静かに声をかけた。しかし、言葉が続かない。
「…………」
「なんだ?」
「……気を悪くするかもしれんが、その指輪……」
 肇の左手薬指に目をやるゆずる。その指にはブラックダイヤの指輪が光っている。それはまるで、彼のために作られた物の様に、違和感なく肇の指におさまっていた。
「外しておいた方がよくないか?」
「……ああ、すまん。そこまで頭が回らなかった……」
 そう言って自嘲するような笑みを浮かべる肇。まるで愛おしいものを見つめるよう表情で、指輪にそっと触れる。
「そうだな。これから婚儀だというのに、ここ(・・)にはめてちゃまずいな」
 その指が、ゆっくりと指輪を外そうとする。今まで見た事もない寂しげな肇の表情に、ゆずるは思わず声をかけずにはいられなかった。
「肇!」
 その声に少し驚いたように、肇が指を止めた。
「なんだ?」
「……外したくないなら、そのままでもいい」
「いや。いいんだ」
 そう言って再び指輪を外そうとするが、ふと考えてネクタイをゆるめ、首から下げているチェーンを外す肇。
 ゆずるはそれを今まで一度も目にした事はなかったが、彼が肌身離さずつけているであろう事は想像できた。そして、そのチェーンには、小さなピンクパールのついた指輪が光っていた。明らかに肇の小指にも入らないであろうサイズ。
 肇は左手薬指のブラックダイヤの指輪を外すと、それをチェーンに通す。プラチナのチェーンの先に光る二つの指輪を見つめ、ゆずるは思いきったように言葉を紡ぎだした。
「肇、いいのか? 本当に……」
「……なんだ、今更。おまえこそいいのか?」
 まるで自らの真意を悟られぬように、ゆずるに答えを求める肇。
「おれは、雷蔵(らいぞう)を取り戻すためなら何だってする、そう決めた。……、でも、お前は……」
 ゆずるが言わんとしているこ言葉の先が、肇にはわかった。昨日、了然寺(りょうねんじ)の境内での梨花とのやり取りを気にしているのだろう。やり取り、というより、あれでは口論だ。ふとそれを思い出し、肇は軽く笑った。
「昨日、あの女が来た時の事、気にしてるのか?」
「……おれには、お前には()が必要で、彼にとってもそれは同じだと、そう感じた。“小笠原肇”にとって、彼はかけがえのない“特別”な人間だ、と。おれにとっての雷蔵のように……。だから……」
 ゆずるがふと伏せた目を上げると、バックミラー越しに志麻と目が合った。彼女の瞳はゆずるを後押しするようにうなずいた。
「……本当に、いいのか? 今なら、まだ引き返せるぞ」
 ゆっくり息を吐いてそう告げるゆずる。意を決したようなまっすぐな瞳に、肇は髪をかきあげ大きく吐息すると、苦笑しながら煙草に火をつけた。
「……ったく……」
 ゆっくりと紫煙を吐いた肇は、ミラー越しに志麻の視線を感じてまた苦笑した。
「お前もか、志麻。……ふ、まあ加地がここに居たとしてあいつも賛同しただろうな」
 修司の名に、志麻の表情が一瞬曇った。本来ならハンドルを握っている役目の修司だが、危機的状況からは脱したとはいえ、まだ病室のベッドの上から動ける状態ではなかった。
「……仕方ねぇな。もう隠しても意味ねぇし、全部ぶちまけるか……」
 大きく紫煙を吐き出す肇。その表情は、半ばあきらめのようにも見えた。





とりあえずUP。週1は更新したいけど、なにせやっぱり仕事がぎうぎうだからなぁ。
とはいえ、ぎうぎうな時ほど書きたくなるのがまっちゃんのさがだからね…( ̄▽ ̄;)



更新日:
2014/10/20(月)