第一部          かくせい   醒
    


 突然の転校生、しかも美少年の登場に、その日の1年B組の授業態度は散々な始末だった。女子のほとんどは浮き足立ったように授業に身が入らず上の空。そんな女子の様子と闘牙とを、交互にしかも忌々しそうに見つめる男子。まともなのは隆聖と真琴 、他数名程度しかいなかった。とはいえ、隆聖も闘牙の前の席で、ちらちらと闘牙を見つめる生徒達に教壇を向くよう無言のプレッシャーの視線を投げるのに忙しく、授業に集中は出来なかったのだが……。
 授業が終わった昇降口は、下校する生徒と部活動に移る生徒であわただしい。その中に、闘牙と彼を囲む女子達の姿もあった。他のクラスの生徒や上級生も、美貌の転校生に好奇のまなざしを向けている。明日には学校中が彼の噂で持ちきりだろう。
 隆聖は闘牙達の集団を横目で見ながら、体育館方面へと続く廊下を歩いていた。事務室、資料室の前を通り過ぎ、目的の保健室の前で立ち止まる。
「失礼します」
 そう言って彼がドアを開けると、3年の男子が数人出て行くところだった。
「じゃ〜ね、センセ。また明日」
「バイバーイ」
「はいはい。気をつけて帰りなさいよ」
 見るからに軟派そうな彼らを、軽くあしらうショートカットの女性。年の頃は20代半ば、大きな瞳と少しぽってりした唇が印象的な あでやかな女性だ。ペパーミントグリーンのブラウスと紺色のタイトスカート、その上に白衣を羽織った肢体は170センチ近くあるだろうか、しなやかでスレンダー。男子生徒の憧れのマドンナ的存在、養護教諭の能見(のうみ)志麻( しま)である。隆聖は保健室内に他の生徒がいないのを確認すると、彼女に聞こえるようにわざとらしく大きなため息をついた。
「ど〜したの? ()()()()
「いえ。モテモテですね、()()()()は」
「あら、君ほどじゃないと思うけど」
「いえ、俺なんて先生には敵いませんよ」
 しばしの沈黙。先にそれを破ったのは隆聖だった。
「だぁっ! やめた、やめた!」
 こらえきれない様子で、隆聖は学生服の襟ホックを外し、前ボタンも全開にさせる。志麻は苦笑して、椅子を指差した。
「ま、座りなさいな、隆聖」
「ん。知ってたか? 伊達眼鏡って意外に疲れるんだぜ」
 明らかにいつもの優等生口調ではない。年上の志麻に対し、ごく自然にタメ口で喋っている。隆聖は椅子に腰掛けると眼鏡を外し、眉間の辺りをマッサージするようにつまんでいる。その姿はどことなくふてぶてしさまで漂わせている。
「じゃあ、かけなきゃいいじゃない」
「俺の優等生スイッチだからな」
 そう言ってにやりと笑うと、ポケットに眼鏡をしまう。品行方正の優等生は仮の姿、伊達眼鏡を外した今の彼が、本来の姿である。
「ところでさ、転校生の噂、誰かから聞いたか?」
「転校生? ああ、あんたのクラスの? 麻里子先生から聞いたわ。すごい美少年だってね」
「いわゆるジャニーズ系? ばーさんがおフランス人だってさ。もう女子どもが騒いでうるせ〜のなんの……」
 うんざりした顔で話す隆聖の言葉使いはかなりぞんざいで、志麻の口調や態度もまるで弟と話しているかのように親しげで飾りがない。実は二人は以前からの知己であるが、学校内では秘密にしている。それは二人が属する《一族》とその《能力》に起因している。
「データ見せろよ」
 机の上のパソコンを指差す隆聖。パソコンの中には、全生徒の住所や出身中学などの基本データや病歴などの身体的データが入っている。闘牙のデータは先程志麻が打ち込んだばかりだ。
「なんで?」
「気になるんだ。ヤバいニオイがプンプンする。さっき叔父貴(お じ き)にも連絡したけど、もしかすると《英》(はなぶさ)の手の者かもしれない」
 途端、志麻の表情が硬くなった。
「何してるのよ! 早くボスの所、行きなさい!」
「怒るなよ。加地(か じ)が迎えに来るって。まだ時間あるからさ」
「加地君が?」
 一瞬ではあるが、志麻の頬に赤みが差した。それを隆聖は目ざとく見つけ、にやりと笑う。
「一緒に帰る?」
「ばっ……何言ってるのよ。私これから会議だから」
 取り繕うように会議の資料を準備する志麻。隆聖はそんな彼女を見てにやにや笑っている。いつも明るく健康的な色気をふりまき男子生徒の絶大な人気を誇る『綺麗なお姉さん』も、実は案外純情で一途な事を知っているのは学校内では隆聖だけだ。
「ヤツのデータ、プリントアウトして。叔父貴に持ってくから」
「仕方ないわね」
 ふう、とため息をつく志麻。一応校外秘なんだからね、と付け加え、志麻はファイルから『藤城闘牙』のデータを検索し、プリントアウトする。
「飛騨市、ねぇ……」
 自己紹介でも言っていたが、彼の出身地がやけに引っかかる。
「飛騨? 飛騨高山の飛騨? そう言えば《英》の老体があそこらへんにいるって、ボスから聞いた事なかったっけ?」
 独白の様につぶやいた隆聖の言葉を、志麻が拾いあげる。合点がいったという風に、隆聖はポンと手を叩いた。
「そっか、それだ。決まりみたいだな」
「そうみたいね」
 顔を見合わせうなずく二人。プリントアウトし終わったデータを志麻からもらうと、隆聖はそれを学生鞄にしまった。
「あんた今日部活は?」
「家の用事、って言っておいた」
「ま、間違いではないわね」
 苦笑する志麻。腕時計を見る隆聖。時計の針は15時20分を指していた。
「じゃ、そろそろ時間だ。叔父貴に伝言は?」
「後で私も顔出します、って伝えて」
「了解。加地には?」
 からかうように言う隆聖の頭を、持っていた資料のファイルで軽くはたく志麻。その顔は怒っているようにも恥ずかしがっているようにも見えて、隆聖はくすくすと笑う。
「ほんと、見かけによらず純情だよなあ、志麻は」
「ガキに言われたくないわよ。ほら、早く行きなさい」
「へいへい」
 そう言って隆聖は胸ポケットから眼鏡を取り出し、装着する。また優等生の顔になり、保健室を出て行った。口が達者で小生意気な7歳年下の少年の後姿を、志麻はため息とともに見送った。



「あれ? 小笠原君、もう帰るの?」
 昇降口、下駄箱の前で靴を履き替えていた隆聖の背中に声がかかる。振り返ると、真琴と春菜が立っていた。二人もこれから下校する様子だった。いつもならジャージ姿でランニングしているはずの隆聖が制服姿なのを不思議に思ったようだ。
「ああ、ちょっと家の用事。ところで村上、藤城ならもう帰ったみたいだけど、よかったのか?」
「そーよ! なんか佐藤えらく張り切ってんの! ムカつくったら」
 ぐちぐちと文句をこぼす春菜に、隆聖と真琴は顔を見合わせ軽く笑う。出遅れて闘牙にまともに話しかけられなかったのが、よほど悔しかったのか、春菜の口からは佐藤に対する悪口とも取れる発言があふれてくる。やれスカートが短すぎるだの、化粧がケバイだの、少し胸がでかいのをいい事に強調しすぎだの……。あまりの発言に、隆聖は苦笑いするしかなかった。
「じゃあな、お先」
 そう言って軽く手を上げると、隆聖は昇降口から小走りで去っていった。
「あっ、委員長! ……行っちゃった」
 春菜はその背に声をかけたが、時すでに遅く、隆聖の姿は下校する生徒達の人波に紛れていった。
「せっかく途中まででも一緒に帰れると思ったのに、ね、水澤さん」
「えっ?」
「いや〜ん、隠してもわかるって。好きなんでしょう?」
「……」  
 突然の春菜の振りに、絶句する真琴。今まで自覚すらしていなかった事だ。確かに、あまり男子と会話しない、いや出来ない真琴が、まともに話すのは彼ぐらいだ。きっかけは何だったのか、覚えてもいないぐらい、自然にいつの間にか会話を交わすようになっていた。
「……別に好きって訳じゃ……」
「うそぉ。なんかお互いいい感じのオーラ出てるよ。告っちゃえば」
「そんなんじゃないって」
 無責任な春菜の発言にげんなりしつつ、真琴は下駄箱を開け、革靴に履き替える。昇降口を出て歩き出すと、春菜はやけに楽しそうに話しかけてきた。
「絶対大丈夫だって。小笠原君みんなに優しいけど、でもなんか水澤さんは別格っぽいし」
「そんな事ないよ」
「ううん、ある! あたしそういうカンいいのよ。絶対、小笠原君は水澤さんが好きだって」
 春菜の発言に、もう真琴は苦笑いを返すしかなかった。しかし、そう言われて悪い気はしないのも確かだった。隆聖の優しさ、心配そうに見つめてくれるまなざしが暖かく心地よい、そう感じるのだ。
 隣では、春菜が一人盛りあがっている。先程の佐藤への問題発言連発の不機嫌さはどこへやら、である。
「ごめん、村上さん。病院まで歩いて行くから」
 校門を出た所で立ち止まり、そう言う真琴。母の入院している病院は、学校から歩いて5分程度だが、駅とは反対の方角だ。
「そっか。じゃ、バイバイ」
「うん、また明日ね」
 そう言って別れる二人。真琴は春菜が離れたのを見計らったように、ふうと大きなため息をついた。彼女のおしゃべり好き、特に恋愛話に関しての異常なまでのテンションの高さには、正直ついていけない。それは真琴自身の性格というよりも、彼女の異質意識からきているものだった。本当なら自分も、友達と一緒に他愛もない話で盛りあがったり、 学校帰りに寄り道して帰りたい。でも……。
「はあ。……あれ?」
 また盛大なため息をついた真琴の視界の隅、道路の向かい側にある書店の駐車場に、見覚えのある長身の学生服の後姿が消えていった。
「小笠原君?」



 一方、かの書店の駐車場。夏を先取りしたような鮮やかな色彩のアロハシャツにジーンズ、足元は革のグラディエーターサンダル姿の、年の頃は20代前半ぐらいの青年が、シルバーメタリックのレクサスの助手席ドアにもたれるようにして立っていた。およそ高級車には不釣合いな、ラフというよりくだけすぎた服装である。丸レンズの青いサングラスを鼻眼鏡風にしてかけている姿は、まるで組の若い衆といった風体ではあるが、その下がり気味の眦( まなじり)が甘い印象を与える、とてもアンバランスな雰囲気の青年だ。周囲からは完全に浮いている、注目の的だ。アロハの青年は、求める人物の姿を確認すると、大げさに両手を振った。
「若ぁ!」
 手を振られ呼ばれた方の主は、がっくりと肩を落とした。近くには同じ高校の生徒もいるのに……。
若と呼ばれた少年 ・隆聖は、わざと聞こえるように大きなため息をついた。
「なんなんですかぁ、そのため息は」
「こっちの方が恥ずかしいんだよ!」
「何がですかぁ?」
 すっとぼけたように、にっこりと笑う青年。その反応に隆聖はまたため息をつくと、鞄を彼に投げつけるように渡す。
「おおっと」
「叔父貴直々の迎えを期待してたんだけど、お前が来るとはな」
「そんなぁ、ひどいですよ、若。俺じゃご不満ですか?」
 どこか調子外れ、というより、わざとはぐらかしたような受け答えをするアロハ男の名は、加地修司(しゅうじ)。隆聖が叔父貴と呼ぶ人物の配下である。
「連絡受けてぶっ飛んで来たんですよ。本当は今日オフで、映画見に行く予定だったんですけど、若のお迎えの方が大事ですからね」
「あ〜そ〜でっか。わざわざご苦労なこった。あんたの忠犬ぶりには頭が下がるよ」
「いやあ、それほどでもぉ」
 そう言ってあはは、と笑う修司に、隆聖はイラっとする。
「嫌味だっつ〜の!」
「やだなぁ、若。嫌味は嫌味って言ったら嫌味じゃなくなりますよ。しぇ〜、なんちゃって。 これ『おそ松くん』のイヤミですけど。おそ松くん、知ってますぅ?」 
 隆聖は頭を抱える。修司のこのふざけた態度は、全てある人物の影響といっても過言ではないだろう。いつも人を喰ったような言動が専売特許の、隆聖の叔父にあたる()だ。()といい、修司といい、口で勝てる相手ではなかった。
「…もういい、早く出せ。つ〜か、マジで目立ち過ぎだ」
 周囲の注目を集めている二人。しかし、修司は全く気にする風もなく、さらりと言い放った。
「大丈夫ですよ。みんな俺の外見(アロハ)に目がくらんで、中身がどんなだかなんて覚えちゃいませんよ」
 確かに、修司の言葉も一理ある。彼は冬場といえども、コートの下にアロハを着ているような男である。今日の柄はヤシの木と虎という、何だかよくわからない組み合わせだし、しかも地の色はマリンブルーだ。しかし……。
「俺の学校の生徒もいるっつ〜の」
「あらら。そいつは失念してました。若は学校じゃ優等生で通してますからね」
 そう言いながら修司は助手席のドアを開けた。隆聖はちっ、と舌打ちしながら助手席に乗り込み、修司がドアを閉めるタイミングを見計らってつぶやく。
「何が失念だ。わかってて面白がってやってるくせに」
「何かおっしゃいましたか?」
「別に何も」
 運転席に乗り込んだ修司はエンジンを始動させた。
「では、参りますか。肇( はじめ)様がお待ちです」
 そう言った修司の横顔からは、もう既に先程までの茶化した笑顔は消えていた。きりりと眉を上げ、前方を見据えている。
「ああ、頼む」
 自然と隆聖の表情も引き締まる。出来れば来て欲しくない時が、もう目前に迫っている。そんな緊張が知らず身体を震わせる。
「すみません、若。冷房きつかったですか?」
 助手席の隆聖の様子に、修司はエアコンのボタンに指を伸ばした。
「ん? ああ、違う、大丈夫だ。……窓、開けていいか?」
「もちろん」
 隆聖はパワーウインドウのスイッチを押す。ふわりと風が髪を揺らし、頬を撫でていった。その風は、まるでこれからの嵐を予感させるような、生ぬるいものだった。







                                             更新日:
2010/03/08(月)