桜乱舞  
 
 リビングのソファーで煙草をふかしながら、肇はふと携帯電話に目をやる。とはいっても彼が携帯を使うのはもっぱら着信ばかりで、自分から電話やメールをする事はほとんどない。今も日付と時刻をチェックしただけで、すぐにそれをテーブルの隅に追いやった。
「……そうか、今日は4月7日か……」
 日付や曜日の感覚がさっぱりなくなってしまったこの頃は、こうやって確認するのが日常になっている。というのも、ここ一年ほど肇はニートばりの自堕落な生活を送っている。仕事もせず、日がな一日惰眠を貪り、新聞や本やネットに目を通し、時折近所に散歩に出かける程度。あくせく働いている一般人を、新宿の一等地にある高層タワーマンションの最上階の部屋からのんびりと眺め下ろしている毎日だ。
「肇様、そろそろ……」
「ん。あ〜、めんどくせぇな……」
 髪をかきあげながら思わず出た言葉は彼の本心だったのだろう。それを聞いた派手なアロハシャツの青年は、困惑し今にも泣きそうななんとも情けない表情をした。
「ははは、そんな顔するな」
「……肇様ぁ……」
 まるでうなだれる犬のような姿のアロハの青年は加地修司(しゅうじ)、肇の配下であり、弟同然にかわいがっている存在だ。
「仕方ねえだろ。能見(のうみ)のババァは苦手なんだって」
「……じゃあ、いいです。一人で行って討ち死にしてきます……」
 しゅんとして見えない耳と尻尾が完全に下を向いてしまったかわいい弟分を見て、肇はカラカラと笑った。
「ば〜か。志麻にも約束したんだ、行かない訳ないだろ」
 煙草をもみ消し、携帯電話を持つと、肇はそれで修司の額をこつんと叩いた。
「岡埜栄泉の豆大福は買ってきたか?」
「はい」
「能見の家の者はアレに目がないからな。手ぶらで行くよりはマシだろ。……ま、豆大福程度であの家から志麻をかっさらって帰れるとも思えんがな」
 またカラカラと笑う肇に、修司はがっくりとうなだれた。彼のこの言動は、単にヘタレな自分の反応を面白がってからかっているだけだという事を修司は知っている。それも自分の心を少しでも軽くしようとしている主の心遣いだという事もよく理解している。しかし、それでも、わかっていても心は落ち着かない。
 今から二人が赴くのは、志麻の実家の能見家。しかも一族一の頑固者といわれる志麻の祖母にして能見の当主・マサに、彼女との結婚を許してもらうためだ。一族の中では立場の低い修司。本来なら志麻との婚姻どころか、会話を交わす事さえ言語道断だと言い張るマサを説得出来うるのは、本家である小笠原の者しかいない。という訳で、修司と志麻に頼まれ、肇はマサの説得を手伝う事になったのである。
「ま、今は一族を離れたとはいえ、俺も一時は次期総帥にとまで担がれた男だ。大丈夫だ、心配するな」
「はい」
 少し明るくなった修司の表情だが、次に続いた肇の言葉を受けてまた曇った。
「とはいえ、結局最後はお前次第だがな」
「……肇様……そんなに面白いですか?」
「まっさか。そんな訳ないぞ。うちのかわいい加地と志麻のこれからにケチつけるなんてそんな野暮なマネ。ま、でも障害があった方が燃え上がるって言うだろ」
 そう言ってにやりと人が悪そうに笑う肇。薄手のコートを羽織り、携帯電話をポケットにしまうと、サングラスをかける。
「ほら、行くぞ」
「……絶対面白がってる……。ていうか肇様、そのお言葉は実体験が元ですか?」
「ああ、まあな」
「……そりゃぁあなたはそういう方ですからそうでしょうけど、俺は小心者ですから」
「ぬかせ」
 いつも通りに軽口を叩きあいながら、肇は修司を引き連れて部屋を後にした。



 修司の運転するレクサスの後部座席で煙草を味わう肇の表情は、出発前の言葉とは裏腹に、やけに楽しそうだった。
「肇様?」
「ん?」
「……そんなに楽しみですか? 俺がマサ刀自にけちょんけちょんにされるのが……」
 情けない修司の声。バックミラー越しにこちらを見る瞳は本当に捨てられた犬のようで、肇はくすっと笑った。
「いや、違うよ。ちょっと自分の事を思い出したのさ」
「ご自分の?」
「ああ。今はこうして悠々自適のご隠居さんみたいな生活だが、去年の今頃は桜など眺めている余裕はなかったからな……」
 肇の言葉に修司もしみじみとうなづいた。肇の左頬にはうっすらと傷跡が残っている。頬だけではない。今は衣服に隠れているが、彼の肉体には大小様々な傷や火傷が刻まれている。それは一年前の、彼と彼の実家である霊能の家系『(たかむら)一族』の闘争の証だ。実の父との深い確執と決別。それが母を苦悩と悲嘆に陥れるとわかっていても、肇にはそうするしかなかった。父が許せなかった。そして、最愛の人との別れ。自分の存在がその人を傷つけ、まして命の危険すら与えてしまう状況に耐えきれず、自らその手を離した。血を吐くような肇の葛藤と苦悩を一番近くで見ていた修司には、今全てを決着させ、一族の総帥となる一切の義務と権利をかなぐり捨て、再び最愛の人と一緒にいる肇の姿を見ていられるのがとてもうれしい。
「きょうは4月7日だろ?」
「はい」
 唐突な肇の言葉に、修司は首を傾げるが、肇は気にせず続けた。
「俺と航太が初めて会ったのが今日だ……もう、17年にもなるのか……

 ふふ、と笑う肇のその瞳は、サングラスの奥に隠れてはいたが、とても穏やかでやさしい色をしているのに修司は気付いていた。
「中学の入学式だった。爺が『転入早々遅刻してはいけません』とかうるさくてな。しかも、学校に着いたら式より一時間も早くてハメられた訳だ、この俺が……」
 肇の言う爺とは、大庭亮蔵(おおば りょうぞう)、肇のお目付け役で何かと口うるさい存在ではあるが、肇が幼い頃から信頼を置いている数少ない人物の一人だ。
「あの方には肇様も敵いませんからね」
「まあな。で、仕方ねえから時計塔の屋上で煙草吸って時間潰してたんだが、そこで一番最初に目が合ったのがアイツだった……」
「……煙草って……。よく航太さんに軽蔑されませんでしたね・・・」
「ま、人徳かな?」
 肇の言葉に修司はくすっと笑った。肇はそれを非難するように、膝で軽く運転席を蹴った。
「……ま、今考えれば一目ぼれみたいなもんだな」
 ぽつりとつぶやいた肇の言葉に修司は驚く。二人の仲のよさ、というよりラヴラヴ・イチャイチャぶりは見ているこちらが恥ずかしくなる程だが、そんな素直な肇の本音を聞いたのは初めてかもしれない。
「一目ぼれ、ですか?」
「ああ。顔とかじゃなくて。なんか一目見た瞬間に『ああ、こいつは俺に一生係わっていく存在なんじゃないか』って直感した。で、今に至る訳だ……」
 微妙に照れているような、しかし幸せそうな満ち足りた主の笑顔に、修司もうれしくなる。今までの肇は、いつも眉間に深い縦ジワを寄せ苦虫を噛み潰したような表情か、ふざけて人を喰ったような態度ではぐらかし本心を見せないような人だった。しかし、今の彼は明らかに違う。心の澱を吐き出し、傷を乗り越え、全ての苦悩から解放され、彼本来の明るい笑顔を見せている。それも航太という存在があってこそなのだろう。
「ま、当然俺は顔も世界一綺麗だと思ってるがな」
 付け足すように、そう臆面もなく言い放った肇の言葉に、修司は苦笑いを返した。
「……ご馳走様です」
 赤信号で停車すると、肇は車窓の風景に目を奪われていた。桜並木に吹き渡る強風が枝をあおり、盛りを過ぎた花を散らしている。
「……俺はこの時期が一番好きだな」
 そうぽつりとつぶやく肇。
「桜の下で馬鹿騒ぎするのは嫌いだが、散り際の花は風情があっていい……」
 ふう、と深いため息をつく肇。
「肇様?」
 肇の様子を不思議に思ったのか、修司が声をかける。しかし彼は返事もせず、どこか上の空の様子で風にあおられる薄紅色を眺めていた。不意にパワーウインドウを開け、車外に手を伸ばす肇。その掌に、一枚の花弁が収まった。信号が変わり車を走らせる修司。肇はしばらく掌の中を見つめながら押し黙っていたが、不意に沈黙を破った。
「……修司」
「はいっ!」
 肇はいつも彼を苗字で呼んでいるのだが、時折、とても大切な事を告げる際には名前で呼ぶ。思わず居住まいを正す修司。
「……もう無理だ、耐えられん。さっさと能見家の用事を済ますぞ」
「はいぃ?」
 予想外で意味不明の言葉に、、修司の口から出た返事はえらく素っ頓狂なものだった。修司がその意味を問う暇もなく、肇はポケットから携帯電話を取り出し求める相手の番号を押す。
「……出ねえか……」
『……肇? どうしたの?』
 10コール以上経った後、電話の相手・航太が出た。周りはざわついていて少し電話が遠い。
「今どこだ?」
『ん? 今? カレイドの稽古場』
「そうか、悪りぃな、邪魔したか?」
『ううん、大丈夫。どうしたの? 何かあった? 今日は志麻ちゃんの実家に行くんじゃなかった?』
 肇が滅多な事では電話をしない人間だという事を知っている航太の声は、少し不安そうな心配そうな声音だった。
「……ああ、今向かってるんだが。……ちょっと、いやかなりヤバイ。桜見たら、お前に触れたくなった……」
『はぁっ?』
 思わぬ肇の言葉に、回線の向こうからは怒りのような困惑のような返事が返ってくる。運転席の修司も思わず吹き出した。
「……なあ、今日は早く帰って来いよ。なんなら迎えに行く。外でメシ食おうぜ? ……駄目か?」
『……まったくもう……』
 しばらくの沈黙の後、返ってきた航太の言葉は、いつもの口調だった。
『……いいよ。夕方には稽古終わるから』
「わかった、また後で電話する」
『うん』
 満面の笑みで電話を切る肇の姿をバックミラーでのぞきながら、修司はため息をつく。
「……肇様」
「ん? 何だ?」
「申し訳ありませんね、そんな大事な日だとは知らずに」
 ややすねたような口調の修司に、肇は高笑いする。
「ははは。気にするな。さて、まずは厄介なババァを何とかしないとな。どれ、気合入れるか」
 やけに上機嫌の主を後ろに、運転席の修司はこれから自らに訪れる非難の嵐を想像し、また深いため息をついた。





桜前線北上のニュースと、NETでBL小説を色々と読んでいたら、めちゃくちゃ甘々でラヴラヴな肇さんと航太くんがおもむろに書きたくなりますた……(爆)。とりあえず『桜乱舞』表versionです。裏はもちろん夕方以降の二人、確実にR−18……、松永が折れなければ今週中にUPする予定です。
補足、航太くんの『カレイド』とは、彼の所属する『劇団カレイドスコープ』の事です。能楽師と弱小劇団の看板役者の二足のわらじを履いてます。物理的に出来るのかどうかよくわかりませんけど。ま、野村萬斎氏は舞台とか映画とかも出てるし、って一緒にすんなっ! そこらへんのツッコミはご容赦下さいませ……(^_^;)

今回のBGMも、やっぱり風味堂。大好きな甘々な曲ばかり選んでかけてました。特に『世界一甘いキスを交わしたら』がイイっ!! 
更新日:
2009/03/25(水)