君の眠ったその日に・・・  ☆

 とある関東の丘陵地帯。緑豊かで静かなその一帯は森林公園やゴルフ場が点在し、清涼な空気が流れ、都会の喧騒から離れた時間を過ごす事が出来る。そんな立地のため、大規模な霊園も多い。
 芝生やガーデニング区画も整理された洋風の広大な霊園。街路樹のように植えられたはなみずきの白とピンクの花弁が舞い落ちている。五月半ばの平日とあって、園内には人影は少ないが、暖かい日差しをその身に浴びながら歩く一人の長身の男がいた。ダークスーツ姿だがノーネクタイで上着の袖をまくり、しかもサングラス姿。およそ霊園には縁遠い雰囲気の男だが、手には薄いオレンジ色の薔薇の花束を大事そうに抱えている。霊園内を歩き、敷地の奥まった一角、小さな墓石の前で彼は立ち止まった。
「・・・よぉ」
 まるで懐かしい人に再会した時のように墓石に声をかける青年。墓碑には『Misa Nakamura』とある。ここは彼・肇の、今は亡き最愛の女性・美沙が眠る所だ。
「ガラ悪いって言うな・・・」
 苦笑する肇、まるで語り合うような口調。普段は強引で自己中心的な所が強い彼も、美沙には頭が上がらなかった。少し乱暴にサングラスを外す肇。その乱暴さには彼特有の照れも含まれている。少し色素の薄い瞳を細め、懐かしさといとおしさの入り混じったような表情で肇はゆっくりと腰を下ろした。
「・・・早いな。もう十年か・・・」
 そっと薔薇の花束を墓石の前に捧げ、静かに目を閉じる肇。爽やかな風、遠くで小鳥達がさえずっている。気持ちを穏やかに、故人を想うにはとても好い環境だ。
「なんで一人なのかって? 少しお前と二人で話したかったんだ。・・・心配するな、二人とも後から来るよ」
 肇の指が、墓石の名をなぞる。そっと、いとおしそうに。
「美沙。やっと、終わったよ・・・」
 肇の言葉に、静かな風がそっと彼の頬を撫でた。まだ新しい左頬の傷に触れるように。
「・・・ああ、これか。・・・あの人の、父の遺言みたいなもんだな・・・」
 苦笑する肇。青い空を仰ぎ見て、軽く息を吐く。
「やっと、認める事が出来たよ。あの人を父だと・・・。最後の最後に・・・」
 思わず言葉を詰まらせる肇。目頭を押さえた彼の足元では、以前植えた都忘れが薄紫の花を咲かせていた。小さく可憐で、しかしどこか芯の強さを感じさせるその花は、まるで美沙が自分を叱咤激励しているように見え、肇は目を細めた。
「・・・これでも少しは強くなれただろ?」
 小さな花に囁く肇。美沙の最期の願いを叶えるためにも、自分は生きてきた。彼女を失って十年。心の痛みや寂しさ、自責と後悔の念は決して消える事はないけれど。心の穴を吹き抜ける風は冷たいけれど。
「・・・お前、本当は昔から気付いてたんだろ? 俺と航太がこうなる事・・・」
 でも今は側にいてくれる大切な人・航太がいる。お互いに傷ついた分だけより認めあい、そして共にこれからを歩いていこうと誓いあった。
 そして、二人にとって大切な存在、護りたい小さな命がある。だから、生きていける。否、美沙のためにも生きていかねばならない。
「――め〜、はじめ〜!」
 遠くから舌足らずな幼い声が聞こえてくる。肇が振り返ると、十歳位の少女がぱたぱたとこちらに向かって駆けて来る。そして、その後ろでは細身の青年が優しい瞳で少女を見つめていた。
愛美(まなみ)ちゃん、そんなに急ぐと転んじゃうよ」
「だいじょうぶ。こーたも早くぅ」
 愛美と呼ばれた少女は立ち止まり、航太を急かすように手招きする。彼女に追いつき、抱き上げる航太。そんな二人の様子を、肇は目を細めながら見つめている。
「・・・あいつ、どんどんお前に似てくるな・・・」
 そうつぶやいて苦笑する肇。その瞳に写る少女は、美沙の面影を色濃く残した、しかし、気の強さと大胆さは肇ゆずりの、二人の一人娘だ。今は美沙の両親と暮らしているが、いずれは一緒に暮らそうと肇は考えている。もちろん、航太も含めた三人で。
「はっじめ〜!」
 愛美は航太の腕から下り、しゃがんでいる肇の胸元目がけてダイブする。
「うぉっと」
 少しだけバランスを崩す肇だが、しっかりと愛美を抱きとめて立ち上がった。その小さな額を軽く指ではじく。
「ったく、行動が豪胆だよな、お前は。誰に似たんだか」
「そんなの肇に決まってるだろ。ねえ、美沙ちゃん」
 くすくすと笑いながら航太が墓前に腰を下ろし、合掌する。肇も愛美を下ろし、
「ほら、愛美も。ちゃんとママに挨拶しろ」
 と、うながした。隣の航太を横目で見ながら、愛美も彼を倣って小さな手を合わせた。
「ねえ、ママ。この前ね、さんかん日にはじめとこーたが二人で来てくれたんだよ。い〜でしょ?」
「・・・浮きまくってたけどね・・・」
 嬉しそうに自慢げに報告する愛美の言葉に、航太は苦笑いする。綺麗に着飾った母親達がひしめく中、ラフな格好の男二人は異彩を放ち、注目を浴びていた。母親達の不審と興味と好奇とが入り混じったような視線は、役者としてある程度の視線にも慣れている航太にとってもあまり心地のよいものではなかった。しかし、肇は元々他人の視線などまったく意に介さない性格だし、そして何より愛美自身が喜んでくれた事の方が航太にとっては重要な事だ。
 航太にとって、愛美は複雑な存在だ。大切な友人だった美沙の娘、そして、その父親は肇。
 航太が肇に対する感情が愛情である事に気付いた頃には、既に肇と美沙は結ばれていた。そして、美沙は航太の心にも気付いていた。
『私がいなくなったら遠慮なんてしなくていいから、肇をしっかりつかまえておいてね。他の女になんか渡したら承知しないから』
 そう病床で自分に告げた彼女の気持ちを思うと、航太は今でも胸が苦しくなる。元々心臓が弱かった彼女には、自身と子供の命が引き換えになる、そうわかっていたようだ。しかし、肇には最期までそれを告げず、航太にのみ心情を吐露した。同じく肇を愛した航太に。
『お願い、航太君。肇と生まれてくるこの子をずっとそばで見守っていて、私の分も・・・』
 そう言って小指を差し出した美沙。指切りをして約束したその数日後、彼女は愛美を産み、その短い生涯を閉じた。彼女の航太への最期の願い・・・。
「・・・俺は、ちゃんと君との約束を守れてるかな?」
 そうぽつりとつぶやく航太に肇は首をかしげる。
「なんだよ、約束って」
「教えない」
 あっさりと言い放つ航太に、肇は眉を寄せる。
「あ? いいだろ、教えろよ」
「ダメ。俺と美沙ちゃんの、二人だけの秘密」
 いたずらっぽく笑う航太に、肇はふくれたような仏頂面を返した。自分の知らない二人の約束に嫉妬しているようだ。そんな肇と航太の様子に、愛美は不思議そうに声をかける。
「ケンカしてるの?」
「ううん、ちがうよ。肇が仲間外れにされたからすねてるの」
「はぁ? 誰がすねてるって?」
「お前、昔からすぐ顔に出るからわかりやすいんだよ。ねえ、美沙ちゃん」
「だーかーら、すねてないっつーの!」
「ムキになるのは図星だからだよね」
「なんだとぉ」
「――っ」
 肇の手が航太の襟首に伸びると、ぐいと引き寄せその顔を近づける。冗談半分なのはわかっていたが今にも手が出そうな威圧的な肇の視線に、反射的に航太は身を硬くした。しかし次の瞬間、
「ふうふげんか?」
 という愛美の言葉にがっくりと肩を落とす。肇も決して本気ではなかったが、絶妙なタイミングで繰り出された娘の言葉に気勢をそがれたようで、思わず吹き出した。
「ははは。流石そのツッコミ、俺の娘だ」
「二人ともケンカしちゃダメって言ってるでしょ!」
 そう大人ぶって言う愛美の姿は、美沙によく似ている。肇は高笑いしながら愛美を抱き上げた。
 青春時代、出生の事実を知り傷ついた自分を愛し支えてくれた美沙。心の底から愛した唯一の女性。彼女はもういないが、自分と彼女の血を受け継いだ大切な娘・愛美がいる。そして、もう一人、苦難と別離を乗り越えた魂の半身・航太がいる。
「・・・美沙、俺は今、初めてあの二人の間に生まれてきてよかったって思ってるよ。お前や父を失くした痛みや後悔は消えない・・・。でも、少し回り道したけど、今こうやって全てを分かちあってそばにいてくれる航太も、お前の忘れ形見の愛美もいてくれる。だから、俺は今、とても幸せだよ」
 そう語りかける肇の瞳はとても穏やかでやさしい。その今までの苦悩から解き放たれたような肇の笑顔に、航太の瞳からは知らず涙がこぼれた。切なさともうれしさともわからない思いで、胸が締めつけられる。
「・・・馬鹿、何泣いてるんだよ」
「・・・ご、めん・・・なんか勝手に・・・」
 肇はやさしい微笑みをたたえ、愛美を抱き上げたまま航太を抱きしめた。
「こーた、どうしたの? 悲しいの?」
 愛美が心配そうに航太の顔をのぞきこむ。小さな手でそっと航太の頬の涙を拭う愛美。幼いながらその顔立ちは肇によく似た意志の強さを垣間見せ、そしてその瞳は美沙と同じ慈愛に満ちた色をしている。
「ううん、違うよ。うれしいんだ。こうやって、肇と愛美ちゃんと、それに美沙ちゃんと一緒にいられる事がね・・・」
 肇を見つめ涙を拭う航太。コツンと肇の額に自分のそれを寄せた。
「・・・航太。もう一回聞いてもいいか?」
「・・・な、に?」
 肇のやさしいまなざしに胸が高鳴る。
「ずっと、俺のそばにいてくれるか?」
「・・・うん。ずっと、肇のそばにいる・・・」
 肇の指が航太の頬にうっすらと残った涙の跡に触れる。そして、軽く唇が触れ合った。
「あ〜、ずるい。まなにも〜」
 肇に抱き上げられたまま、二人の口づけを目の当たりにしていた愛美だが、まったく動じる様子もなく、逆に自分にもとせがんだ。そんないとし子の様子に、肇と航太は微笑んだ。
「はいはい。愛美にもするよ」
 肇のキスを頬に受け、しかし愛美はまだどこか不満げだ。
「こーたは?」
「え? あ、ごめん」
 くすっと笑いながら愛美の頬に口づける航太。航太が唇を離すと、愛美はにっこりと笑った。
「まなもいっしょ。はじめとこーたのそばにいる。ずっといっしょだよ」
 小さな花がほころんだような満面の笑顔。肇と航太も笑顔を返す。
「・・・航太、愛美、美沙、愛してるよ」
 そう言って肇は航太に回した手に力をこめた。三人の足元で、彼らをやさしく見つめるように、小さな都忘れが風に揺れていた。





えと、時系列としては本編終了直後です。なので、クリスマス短編よりも前。今の所、西暦の設定してないんで説明しづらい。ま、21世紀ではあるけどさ。すんまちぇん、めんどくさくて。
しかも、色々と本編の核心に触れてかなりネタバレしてます。肇さんの最愛の女性・美沙ちゃんと娘・愛美ちゃんもご登場。この設定はかなり初期段階で、槇原敬之の『Wow』を聴いていた時に突然、「あ、肇さんには娘がいるかも」と思ったのが発端でした。てかさ、マジで早く本編を書けっつーの・・・(ーー;)
ま、これは私個人(松永というよりも本名の方が正確です)が書きたかった題材を、肇さん達に代理で語ってもらったみたいなものでして・・・。ま、細かい話はブログの方に書きますわ。BGMは柴咲コウの『かたちあるもの』でした。





                


この短編を、空の上の大好きな姉・玄機に捧げます。

更新日:
2009/05/13(水)