第1章 西の姉弟、魔都へ〈4〉
 
 保仁に促され、屋敷の奥へと進む三人。まるで鏡のようにピカピカの板張りの廊下に靴音が響くのが慣れない。
「・・・なんかじーちゃんととーちゃんにぶっ飛ばされそう・・・」
 ぽつりとつぶやいた昴流の言葉を耳聡く聞いていた保仁はくすっと笑った。
「水無月の御大はお元気?」
「はい。・・・鬼束さんは、祖父と面識が?」
「ああ、まあね・・・」
 なんとなく含みのあるような表現に、静流は首をかしげる。
「保仁でいいよ。僕、敬語とか堅苦しいの嫌いだし」
 そう言って笑う姿は、人当たりのよい好青年といった雰囲気なのだが、静流は微妙な違和感を覚えた。
「あ、それ一千万はするから気をつけて」
「ええっ!」
 廊下に飾られていた陶磁器に何気なく手を伸ばした昴流は、びくんと反応して急いで手を引っ込めた。その反応を見て保仁は声をあげて笑った。
「嘘だよ。レプリカ。本物はちゃんと蔵にしまってあるから」
「・・・びっくりしたぁ。・・・爽やかそうな顔して、実は人が悪いんですね、保仁さんは」
 思わずぽつりともらした昴流の本音に、静流は色めき、弟の頭を手で押さえ強制的に頭を下げさせた。
「昴流! ・・・失礼を言って申し訳ありません。お前もちゃんと謝れ」
「いいよ。堅苦しいの嫌いだって言ったでしょ。・・・それにしても、いいねぇ地の君(ち きみ)は。聞きしに勝るね。これならあの子も・・・。ふふふ、面白くなってきそうだなぁ」
 静流の謝罪を軽く制し、昴流を上から下まで眺めては含み笑いひとりごちる保仁。姉弟はいぶかしげに顔を見合わせた。
「・・・あの・・・、保仁さん・・・?」
「ああ、ごめん。つい。さ、どうぞ」
 そう言って保仁は部屋のドアを開き、三人を招き入れた。広い応接間は、ロイヤルブルーのリビングセットで統一されている。リビングボードには、いかにも高級そうなガラス器やティーセット、洋酒のボトルなどが飾られていて、昴流はあんぐりと口を開けて見つめていた。
「お茶にする? それともコーヒー?」
「いえ、お構いなく」
「そういう訳にはいかないよ。ほんと水の姫(みず ひめ)も噂に違わないねぇ。ふふふ、いいなぁ、この姉弟も」
 先程からの意味深発言の連発に、滅多に感情を表情に出さない静流も少し眉根を寄せた。自分達姉弟の周囲にはストレートな物言いをする人間ばかりだったから、保仁のように奥歯に物の挟まったような、意味ありげな言動には慣れていない。
「・・・あの、保仁さん・・・」
「で、どうする? 何がいい?」
 静流の言葉を遮る保仁。笑顔の奥に有無を言わせぬ押しの強さがある。静流は聞こえないようにため息をつき、
「じゃあ、日本茶でお願いします」
 と答えた。
「はいはい」
「あ、俺出来ればコーヒーで」
「昴流! すみません、全員日本茶で結構です」
 すかさず続ける昴流に、静流は頭を抱える。この天性の図々しさには呆れてしまう。しかし、保仁はますます瞳を輝かせ、昴流に熱いまなざしを送っていた。
「いいよ、気にしないで。・・・ますます気に入ったなぁ。じゃあ、ちょっと待ってて」
 そう言うと部屋を後にする保仁。彼が去ってから、静流と達也は同時に大きくため息をついた。
「・・・昴流、お前なぁ・・・」
 呆れた表情で弟の方を見るが、そこに彼の姿はない。既に立ち上がり、部屋の中を物色している。
「うわ、すげぇ。高そうな物ばっかだよ・・・」
「昴流!」
「何だよ、いいじゃん。ほんと姉ちゃんは堅いんだから」
 静流の叱咤も昴流の耳には念仏状態だ。静流が深くため息をつくと、下座に座った達也も苦笑いした。
「それにしても、素晴らしいお宅ですね。流石、代々の《ミカド》を輩出する鬼束家・・・」
 達也も調度品を眺めては感嘆の息をもらした。水無月家も裕福な方ではあるが、祖父はあまり豪華な調度品が好きではなく、家にあるものは至ってシンプルかつ実用的な物だ。
「てかさ・・・、保仁さんってなんかヤバくね? もしかしてこっち系(・・・・)?」
 振り返った昴流は立てた掌を口元に当て、しなを作る。自分に対する保仁の視線が、熱いというか危ないというか・・・。あの目で見つめられると落ち着かない。まるで蛇に睨まれた蛙の気分だ。昴流は軽く身震いした。
「まあ・・・、個性的な方、ですね・・・」
 一瞬言いよどんだ達也は、言葉を選んで続けた。静流が何か言葉を紡ごうとした時、ドアがノックされる。昴流は急いでソファーに戻った。ドアを開け、手ずからワゴンを押した保仁が入ってきた。
「お待たせ。僕が入れたからあまり美味しくないと思うけど・・・」
 そう言って静流と達也に日本茶を、昴流にコーヒーを差し出す保仁。彼もソファーに腰を下ろした。
「ありがとうございます」
「頂きます」
 丁寧にお辞儀をする静流と達也。昴流はミルクを注ぎ、バラの形をしたカラフルな砂糖をトングでつまんでしげしげ眺めている。
「あ、それかわいいでしょ? 《ミカド》はそういうかわいいのが好きなんだよね」 
「・・・はあ・・・」
 なんとも返答に困った昴流は生返事しか返せない。湯飲みに手を伸ばし、一口含んだ静流が表情を変えた。
「――!!」
「あ、ごめん、やっぱり美味しくなかった?」
「いえ、とても美味しいです・・・」
 嚥下した静流が感心したようなため息をついた。玉露特有の旨みと香りが口の中に広がる。静流は渋いお茶の方が好きなのだが、それでもお世辞抜きでとても美味しいと感じる。保仁は、はあ、と悩ましげにため息をついて自らもコーヒーを含んだ。
「よかった。実は先週、《ミカド》の逆鱗に触れた使用人達に暇を出してさ・・・。今は僕と柏木と残った数人だけで掃除やら食事の準備やら、色々大変なんだ・・・。って言っても元々《ミカド》は僕の作った物しか食べないんだけどね」
「・・・保仁さん、《ミカド》とはどんな方なのですか?」
 三人の疑問を代表するように、静流が切り込んだ。先程から謎ばかりがどんどん増えて、想像ばかりが増していく。相当の齢を重ねた人物だろうとは三人の一致した意見だったが、気難しい性格か、はたまた年に似合わず少女趣味なのか。まったく人物像が見えてこない。
「・・・どんな方、ねぇ・・・」
 静流の言葉に、また保仁は腹に一物抱えているような表情でにやりと笑った。
「水無月の御大は何て?」
「・・・祖父はただ『会えばわかる』と。私達とは比べ物にならないくらいの強い能力を持った方だとは・・・」
「ふふ、流石の《知の賢者》も返答に困ったな。ま、その通りだね。会えばわかるよ」
 そう言ってコーヒーを楽しむ保仁、しかし静流は釈然としない。飄々としていながら、いつの間にか相手を自らのペースに引き込む。饒舌だが決して物事の核心を話さない。人当たりよさそうな笑顔の裏に、とても大きな『何か』を隠し持っているような青年。静流が保仁に対して抱いた印象はあまり好いと言えるものではなかった。
「やだなぁ、《水の姫》、眉間に縦ジワ入ってるよ」
「その、姫ってやめていただけませんか? 私は姫でもなんでもないですし」
 珍しく静流が身内以外の前で嫌悪の感情を表に出しているのを見て、昴流は驚いた。どうやら姉にとっても保仁は不得手とする部類の人間らしい。
「あらら、ご機嫌損ねちゃった? ごめんね」
「・・・いえ、そういう訳では・・・」
 保仁の人好きのする微笑みに、静流は顔を伏せた。思わず感情的になってしまった事を恥じている様子だ。隣で昴流が笑いを噛み殺しているのに気付き、静流は冷たく弟を睨んだ。ちょうどその頃、アンティークの柱時計が六時を告げた。
「お、六時か。《ミカド》を起こしに行かなくちゃ。ちょっと待っててね」
 そう言って立ち上がる保仁を、昴流が呼び止めた。
「あ、保仁さん」
「ん?」
「・・・トイレどこですか?」
 明るく平然と尋ねる昴流、静流と達也はがっくりと肩を落とした。しかし、保仁はさして気にする風でもなく、にっこり笑っている。
「うん、案内するよ」
「お願いしま〜す」
 部屋を出て行く二人を見送って、静流は舌打ちして大きくため息を吐いた。達也も困ったような笑みを浮かべた。
「どれだけ失礼なんだ、あいつは」
「・・・ほんと、坊ちゃまはお変わりないですね」



 数分後、トイレから出てきた昴流は、また落ち着きなくキョロキョロとしている。屋敷の造りはとても広く、それがまた好奇心旺盛な昴流の心を刺激する。
「・・・また姉ちゃんに怒られるな」
 トイレと言って出てきた時の、あの静流の憤慨した表情が思い出される。早く戻らないと、また雷が落ちるだろう。しかし、大きな窓の向こうには緑の木々が見えて、それが気になって仕方がない。
「ま、ちょっとだけならいいよな」
 そう言って、昴流は応接間とは反対方向に進んでいく。角を曲がった彼は、一瞬息を呑んだ。
「・・・すげぇ」
 感嘆の息をもらす昴流。彼の目の前には、噴水と植物が備えられたタイル張りの床の中庭が広がっている。噴水や外壁の彫刻は有翼のライオンや半人半魚など、どこかグロテスクで奇怪な雰囲気の物ばかりだ。
「でかい樹のニオイがする・・・。なんだろ、桜かな?」
 彫刻の怪物をつんつんと指でつつきながら、昴流は噴水の縁に腰を下ろした。深呼吸すると植物のにおいが鼻孔をくすぐり、とても安心する。垣根の向こうには広い庭と大木があるとすぐにわかる。《地の者》である昴流にとっては造作もない事だ。
「・・・ああ、マジ見てぇ・・・。どうしよ。でも確実に姉ちゃんに殺されるよなぁ・・・」
 好奇心でうずうずする気持ちと、これ以上姉を怒らせるのは面倒だという思いとが入り混じる。迷う昴流。遠くで犬が吠えている。
「お、犬の声。・・・ん?」
 その鳴き声が、次第に近くなってくる。そして、ガサガサという音。昴流が音の方向に目を向けると、庭と繋がっているとおぼしき生垣の、地面に近い部分が揺れている。
「は?」
 そして、少女の声。
「・・・まる、影丸(かげまる)!」
「――!! うわぁ!!」
 次の瞬間、昴流は噴水の中に転がり落ちていた。一瞬何が起こったのかわからずにいると、自分の身体に襲いかかる毛の固まりが見えて昴流は我が目を疑った。
「な、なんだよ、お前っ!! ・・・ちょっ、うひゃ・・・」
 先程の鳴き声の主とおぼしき犬が昴流にのしかかり、彼の顔を縦横無尽に舐め回している。しかもそれは大型の日本犬で、昴流がよけようと思ってもびくともしない。というより抵抗する昴流を、遊んでくれていると勘違いしているのか、尻尾はぐるんぐるんと全開でうれしそうにじゃれついている。
「・・・っつ。や、保仁さ〜ん!」
「影丸、おやめ!」
 情けない声で保仁の名を呼んだ昴流の耳に、少女の命令の声が響いた。その瞬間、犬は動きを止め、何事もなかったように噴水から出ると、ぶるぶると体を震わせて水滴を払い少女の足元に座った。
「・・・影丸が初めての者にこれほど懐くとは。お主、もしや・・・」
 噴水の中で濡れそぼっている昴流を怪訝そうに見下ろす少女。洋館に似合わぬあでやかな薄紅色の着物姿、髪は漆黒のストレート、まるで日本人形のような容姿、年の頃は昴流とさして違いはなさそうだ。昴流は事態が把握出来ずに、ぽかんと口を開けたまま少女に見惚れていた。
「・・・昴流くん? あ〜らら」
 昴流の声を聞きつけ現れた保仁は、濡れ鼠の昴流を見て笑った。手を差し伸べ、昴流を噴水から引き上げる。
「笑わないで下さいよ〜」
「ごめん、ごめん。影丸の声がすると思ったら、そういう事か」
 少女の隣でお座りする影丸は、『ボク、何か悪い事した?』といった表情で小首をかしげた。しかも、まだかまってもらいたそうな表情で昴流を見つめている。
「珍しいね、撫子(なでしこ)。部屋にいないから驚いたよ」
「・・・何気なく散歩をしていた。そうしたら、影丸が急に・・・」
「・・・ふふふ、ほんといいねぇ、《地の君》は。影丸が初対面でこれだけ尻尾振るなんて」
 昴流と影丸とを見つめながら、保仁はまたあの特有の含み笑いをした。彼の言葉に撫子と呼ばれた少女が反応する。
「保仁、ならば・・・」
「うん、そう。お、ちょうど《水の姫》もいらしたよ」
 昴流の乱れた気と騒がしい雰囲気とを察知して、静流と達也も何事か、と顔を出した。
「・・・昴流、お前、なんて有様だ・・・」
 ずぶ濡れの弟を見て、静流は心底深いため息をつく。
「違うんだって、姉ちゃん。てか、保仁さん・・・妹さん?」
 昴流は撫子が気になって仕方がない。彼女は先程からにこりともしないが、顔の造作は保仁によく似ている。愛想がないのは姉で慣れている昴流だが、撫子は姉の上をいく。無表情というより、その瞳はどこか冷たさすら感じさせる。
「ふう。ま、思いがけない展開だけど、いいか。紹介するよ、彼女は鬼束撫子。僕の妹で・・・」
 保仁は撫子の隣に並び立つ。そしてゆっくり言葉を続けた。
「そして現在の鬼束家当主、つまり第十五代《ミカド》の名を冠する者だよ」
「――!!」
「・・・っ、ええっ!?」
 静流は驚愕して絶句し、昴流は素っ頓狂な叫び声をあげた。この自分達姉弟と同年代の華奢な少女が、《狩人》の全てを統括する《ミカド》だというのか・・・。
「・・・以後、見知りおくぞ、西の姉弟」
 そう言って撫子は唇の端で笑った。その表情はとても冷たく、しかし凄絶なほど美しかった。





 

やっと《ミカド》のご登場だよ〜、長かったぁ・・・。二言三言しか喋ってませんけど・・・(^_^;) 兄・保仁くんが思いのほか気に入っちゃったので、ご登場が遅くなりました。だって保仁くん、気がついたらどんどんキャラは立ってくるし、勝手に喋ってくれるし。まあある意味楽ですけど。しかし、妹・撫子ちゃんは一筋縄でいかないタイプ。ツンデレ静流嬢ともまた違った雰囲気の、能面のような表情の撫子ちゃん。あ、ここでいう『能面のような表情』とは、いわゆる無表情という意味です。「本物の能面は、角度によって表情が変わるので決して『無表情』ではないんですよ!」と、能楽好きの松永は声を大にして言いたい。とはいえ、日本語表現としてなじみがあるのは事実で・・・ううむ・・・(ーー;)

おおっと話がそれた。あ、ちなみにルビふってませんでしたが、姉弟もきょうだいと読んで下さい、無理矢理。続きは2月中にUP出来るかどうか・・・善処しまふ!!
更新日:
2009/02/24(火)