第1章 西の姉弟、魔都へ〈6〉
 
 時は少し遡り水無月姉弟が《ミカド》と対面を果たした頃。所はとある高層ビルの屋上。防護フェンスの外、地上数十メートルはあるだろう縁に腰を下ろし、その細い脚をぶらぶらとさせている少女がいる。年の頃はティーンエージになったばかりだろうか、百六十センチ前半の超細身の少女だ。ピンクのミニのスリップドレスの上に、レースのボレロを羽織り、細いヒールの編み上げサンダル姿。髪はセミロングの暗めのブロンド、そして瞳はブルーグレー。愛くるしく可憐で潤んだ瞳が印象的な、まるで童話に出てくるお姫様のような美少女である。
 少女の頭上では数匹の蝙蝠が彼女の様子を窺うように旋回している。彼女はそれを見上げ、ため息をついた。
「んもう、うるさいなぁ」
 そのピンクの可愛らしい唇からこぼれたため息は、まるで薔薇の香りを漂わせるかのように甘い。彼女は軽く右手を伸ばし、ぱちん、と指を鳴らした。
「わぁい、捕れたぁ」
 無邪気な笑顔。しかし、その掌の中では一匹の蝙蝠がもがいていた。きぃきぃと耳障りな声をあげるそれをちらりと一瞥し、彼女は片方の翼の先端をつまんだ。まるで汚い物でも持つような手つきだ。そして、弄ぶようにぐるぐると振り回す。その様子を見ていた他の蝙蝠は、夕暮れのビルの谷間を逃げるように飛び去っていく。それを見送り、少女は唇をとがらせ、心底つまらなそうにつぶやいた。
こんなの(・・・・)であたし達をどうにか出来ると思ってるなんて、本村家もなめられたもんね。ねえ、お兄ちゃん」
 蝙蝠を振り回しながらの言葉に、背後のフェンスの上に立っていた少年が苦笑する。少女より三、四歳年上だろう。百八十センチ近い長身。薄手の白いロングコートの中は、上質なシルクのシャツ、そしてブラックデニムに革のロングブーツといういでたちだ。その顔立ちは端整で、どこか高貴さを漂わせている。風にたなびく長い髪は明るいブロンドと、鮮やかなブルーの瞳の、まるでヨーロッパの絵画から抜け出てきたかのような美少年だ。
「どうにか出来ると思ってはいないでしょう。斥候みたいなものですよ」
「せっこう? 何それ? 美術室に置いてあるやつ?」
 小首をかしげて振り返る妹に、兄はまた苦笑した。
「偵察とかその程度の小物ですよ。アンジェ、この前『ロード・オブ・ザ・リング』観たでしょう? サルマンのクレバイン、あんな感じかな」
「あ〜、なるほどぉ。さっすがクリスお兄ちゃん、例えがわかりやすい」
 そう言って微笑む少女は、アンジェと呼ばれたその名のごとくまるで天使のようだ。しかし、彼女は次の瞬間、顔色一つ変えずに右手でぐしゃりと蝙蝠を握り潰した。ぎぎぃ、と断末魔の悲鳴とともに、それは一枚の紙片へと変化する。ちょうど掌に収まるサイズの細長い和紙製で、筆文字でなにやら記号のような文字のような物が羅列したあった。
「はぁい、お兄ちゃん」
 その紙片をピンと指ではじくアンジェ。兄・クリスのロングコートのすそがはためく程の強風なのに、それは導かれるように彼の右手に納まった。
「ふふ、面白くなりそうですよ」
 紙片を見つめながら鼻で嗤うクリス、そしてその瞬間それは燃え上がった。火の気などないはずなのに。ひらひらと燃えカスがビルの谷間に消えていった。
「あっ! やばいっ、どぉしよぉ」
「どうしました? アンジェ」
 ぶらぶらさせていた足を止め、いたずらっぽく肩をすくめてみせる妹の背に声をかけるクリス。その口調は丁寧で穏やかだ。
くすっと笑って、道路をはさんだ向かいのビルを指差すアンジェ。彼女の視線の先には、オフィスビルの一室で書類らしき物を抱えたサラリーマンがこちらを見つめて固まっていた。口をあんぐりと開け、持っていたファイルを取り落とす。そして、目をこすって二度見する。
「あは。目が合っちゃった」
 ひらひらとサラリーマンに手を振るアンジェの背後で、クリスはふう、とため息をついた。
 サラリーマンが目を疑うのも無理はない。ここはシブヤのど真ん中、高層ビル群の一角で、クリス達兄妹がいるのは群を抜いて高いビルではないが、それでも二十階はあるビルの屋上だ。しかも、一人はフェンスの上に立ち、もう一人はビルの縁に腰をかけている。普通の人間なら到底出来る芸当ではないだろう。そう、普通の人間なら(・・・・・・・)
「もう、仕方のない子ですね、君は。ほら、行きますよ」
「はぁい」
 クリスは妹に紳士的に右手を差し出した。アンジェはいたずらっぽい笑顔で軽く舌を出し、「よいしょ」と立ち上がると、ふわりと軽くジャンプする。スカートのすそが浮くか浮かないか程度の軽い跳躍。しかし、次の瞬間、彼女の細い身体は三メーターはあろうフェンスの上、兄の隣に立っていた。まるで、羽でも生えているかのように。
「本当に、この子は」
 兄の額がこつん、と妹のそれに寄せられる。アンジェをたしなめる時にクリスがよくやる仕草ではあるが、しかし、はたから見ればイチャついているカップルにしか見えないのも確かだ。
「帰りますよ、アンジェ。レナが待ってます」
 妹を自分のコートの中に抱き寄せると、クリスはばさりとそれを翻した。
「――え?!」
 向かいのビルで金縛りになっていたサラリーマンは、再び我が目を疑った。二十階建てのビルの屋上、フェンスの外と上に立つ人影、おそらく外国人らしき若い男女、しかもその二人の姿が忽然と消えてしまった・・・・・・。
「おい、どうした?」
 同僚らしき男が、呆然と窓の外を眺めて立ち尽くす彼の背中に声をかけた。
「え? ・・・・・・ん、あ、ああ、何でもない」
 そう言って頭を振ると、落としたファイルを拾い上げる。
「気のせい、だよな・・・」
 彼はまた向かいのビルを見つめたが、そこに人影はなかった。あるはずがなかった。「この頃寝不足だったからな・・・」とつぶやいた、まるで自分自身に言い聞かせるように。
 赤く大きな夕日が、西の空に沈もうとしていた。





 

「とりあえず、顔だけ出しときなさい、本村兄妹!」って管理人の一存で、東の兄妹が満を持してご登場。このシーンはこの話を書き始めた頃に書いておいたシーンで、原型は微妙につじつまが合わんかったので、無理矢理合わせてみました。はい? 合ってない? ま、固い事言わんで下さい(笑)。管理人は適当な人種ですから・・・てへ♪
次回は東と西のハンターきょうだいの顔合わせ、といけるかな? 


更新日:
2009/03/15(日)