第1章 西の姉弟、魔都へ〈7〉
 
 田園調布の一角、高級住宅街の中でも一際目立つ、洗練された優雅な造りが印象的な洋館が彼ら兄妹の自宅である。ロックを解除し、兄妹は門扉をくぐる。玄関まで歩いて数十メートル、庭は花壇や水路が幾何学模様に配置され、よく手入れされた色とりどりのチューリップが咲き誇っている。二人が到着する少し前のタイミングで、玄関のドアが内側から開いた。白百合と紅薔薇、そして剣の模様のステンドグラス風の装飾がはめ込まれたドアだ。
 中からスーツ姿の男性が現れ、二人を出迎えた。伊達智治(だて ともはる)、物腰や風貌は落ち着いているが、年はまだ四十路前、代々本村家に仕える執事の家系の者だ。『本村家は彼で成り立っている』、とクリスは冗談交じりでよく言うが、それもあながち過言ではない程、有能で忠実な男だ。
「たっだいま〜」
「ただいま戻りました」
「おかえりなさいませ。相馬(そうま)様がお見えです」
 深々と一礼する智治に脱いだコートを手渡すクリス。
「ふ〜ん。お兄ちゃんよろしく。シャワー、シャワーっと」
 そう言うとアンジェは鼻歌を歌いながら階段を駆け上っていった。
「あっ、待ちなさい、アンジェ! 叔父上にご挨拶を・・・」
「大丈夫、大丈夫。(ひかる)叔父様、アンジェには甘いから」
「そういう問題じゃ・・・っ、こらっ!」
 クリスの制止も聞かず、ひらひらと手を振りながらアンジェは二階の自室に消えていった。
「・・・まったく・・・」
 そんな妹の後姿を見送り、クリスはため息をつく。
倫子(のりこ)叔母様は?」
「はい、ご一緒です」
 首を縦に振る智治。クリスは応接間のドアを開けた。
「ただいま戻りました」
「お、お帰り、クリス。麗しの姫君はどうした?」
「・・・すみません、シャワー浴びてくるって言って。すぐ呼んで来ます」
「いや、いいよ。姫のご機嫌を損ねると悪いから、好きにさせなさい」
「・・・すみません、叔父上」
 深く頭を下げるクリス。奥のソファーには一組の中年の夫婦がにっこり笑って寄り添っている。相馬光、倫子夫妻。倫子は兄妹の父の妹で、子供のいない彼らは二人を実の子の様にかわいがってくれている。光は本村兄妹が通う名門校、私立育愛学園の理事長でもある。
「ふふ、アンジェらしいわ。やっぱりアンジェはあなた似なのかしらね、レナ」
「あら、ノリコ、やっぱりってどういう意味よ・・・」
 隣のソファーに座っている女性がティーカップを傾けながら怪訝そうな表情をした。白い肌、青い瞳、長い金髪をアップにまとめている。流暢な日本語を操ってはいるが、彫りの深いその容姿は明らかに日本人ではない。一言で言い表すならゴージャスという言葉がよく似合う美女だ。彼女の名は本村・エレオノーラ・ロンバルディ、生粋のイタリア人でクリス達兄妹の母である。とても十代半ばの子供がいるようには見えない若々しく美しい女性だが、クリスを見つめるその瞳は母のそれだ。
「おかえり、クリス。収穫はあった?」
「ええ、まあ。収穫という程の大きさでもないですが。ところで叔父上、今日はどうかなさったのですか?」
「ああ、報告にね。今日、件の姉弟の転入の手続きが完了したよ」
 意味ありげな表情を浮かべる光に、レナの隣に腰を下ろしたクリスの瞳が色めいた。
「・・・ふふ、そうですか。で、どうでした?」
「いや、私もまだ会ってはいない。手続きは配下の者が済ませたよ。どうやら今日の夕方こちらに到着したらしい」
 叔父の言葉に、智治からティーカップを受け取ったクリスはくすっと笑った。
「ああ、どうりで、今日は《アヤカシ》達が騒ぐ訳ですね」
「そうね。《西の守護者》水無月崇史様は《知の賢者》と名高いお方。その秘蔵っ子らしいから、相当の手練かもね」 
 と倫子もうなづく。《狩人》としての能力に目覚めはしなかったが、彼女も《東の守護者》本村家の娘、そのカンの強さは常人とは比べ物にならない。
「明日、姉弟揃って学園に顔を出すようにと言っておいた。どうだ、クリスも同席するか?」
 光の提案にクリスが微笑んだ。
「・・・いえ、楽しみは取っておきます」
 そう言って優雅に紅茶を飲む姿は、まるでどこぞの国の高貴な王子様のようだ。正式な名を本村・クリスティアーノ・誠一郎(せいいちろう)・ロンバルディという。その柔らかな物腰と貴公子然とした雰囲気で王子(プリンス)と呼ばれる美貌の少年だ。
「ところで、僕の籍はまだ残ってるんですか、叔父上」
「ああ。休学扱いだから、もう一度二年生だが、不満か?」
「・・・まあ、仕方がないですね。休んだのは僕ですから。でも、これで学校に行く楽しみが少しは増えますね」
 何気なく言ったクリスの言葉だったが、光はがっくりと肩を落とし、そんな夫の様子を見て倫子は苦笑する。
「・・・そんなにうちの学校はつまらないのか、クリス・・・」
「あっ、いえ、叔父上! 決してそんな訳では・・・」
 クリスが珍しくうろたえる姿を見て、母と叔母とが顔を見合わせて笑った時だった。部屋の外からバタバタと足音が聞こえ、そして何やら若い男の声が続く。風邪ひきますから、だの、ダメです、だの言う男の声を振り切って、豪快に応接室のドアが開いた。
「兄貴っ! どういう事?! なんでオレに黙ってたんだよ!」
「ああっ、アンジェ様、風邪ひきますってば。まずは着替えを」
「うるさい、みっちーは黙ってろ!」
 ドアを開け放ち、息を切らして仁王立ちするように腰に手を当てるアンジェのその姿は、バスローブを羽織っただけで、髪や体からは雫が滴り落ちている。シャワーから出てすぐ飛び出してきた、といった雰囲気だ。紐も締めずにはだけた前からは、白い胸元や下着が見えている。いくら身内の前とはいえ、うら若き娘がする事ではない、のだが・・・。
「・・・ああ、もうこの姫君は・・・。アンジェ、前ぐらい締めなさい」
 またも落胆したようなため息をつく光。
「あ、光叔父様、倫子叔母様、いらっしゃい」
 しまった、というような表情で舌を出すアンジェ。その背後から若い男がアンジェの頭にバスタオルを被せた。
「・・・だから言ったじゃないですか。もうアンジェ様は・・・」
 ぶつぶつと小言を言いながらアンジェを丁寧に拭いている男は伊達道治(みちはる)。執事・智治の一回り離れた弟である。光は困ったような表情でアンジェのあられもない姿から目をそらした。
「・・・君が本当は男の子だってわかってはいても、こうも目の前に現実を突きつけられるとちょっとひくね・・・」
「あはは、ごめんごめん。叔父様達が来てるってすっかり忘れちゃって」
 そう言って笑う姿は、間違いなく天使のような美少女なのだが。はだけた胸元は凹凸もなくなだらかで、見えている下着は明らかに男物のトランクスだ。正式な名を本村・アンジェロ・証二郎(しょうじろう)・ロンバルディ、生物学上・戸籍上・そして精神上もれっきとした少年である。その恵まれた美貌と細身の身体を活かし、女装とコスプレを趣味とし、そして学校にも女子として通っている。プリンスの三歳年下のプリンセスは、病弱ではかなげで守ってやりたくなるタイプと男子達に大人気だが、その実は巨大な猫を背負った演技派のしたたかな少年である。
「ていうか、兄貴! なんで西の姉弟が来るって黙ってたんだよ!」
「黙ってた訳じゃありません。いつこっちに来るのか君が聞かなかったから言わなかったまでです」
「そ〜いうのヘリクツって言うんだぜ!」
「そうですね。でも君の態度は明らかにおかしかったですから。最初は『共闘なんて出来るはずない、オレ一人でも充分だ!』なんて言ってたくせに、相手が水無月の姉弟だって知った途端の豹変ぶりは・・・」
「・・・っつ・・・」
 兄の言葉に返す言葉を失うアンジェ。その唇をとがらせ、何か兄に反論する術はないものか、と考えているようだったが、彼に口で敵う訳がない事を経験上知っている。
「まあ、まず着替えていらっしゃい、アンジェ。ほんとに風邪ひくわよ」
 母の言葉にしぶしぶうなづくアンジェ。道治に促され、アンジェは自室に戻っていった。そんな妹、否、弟の姿を見送りながら、クリスは大きくため息をついた。
「すみません、お騒がせ致しました」
「相変わらずね、あの子は」
 くすくすと笑う倫子。クリスは困ったように肩をすくめた。
「実はいつバレやしないかと不安なんだがな・・・」
 光がそうもらす。理事長の甥と姪という事で、周囲からも一目置かれている本村兄妹ではあるが、《狩人》である事実、そしてアンジェの性別の事は、学園内でも知る者はいない。
「ああ、その点は大丈夫です。あの子はこの家の玄関で完璧にスイッチを入れ替えてますから。ここから出ればどこから見ても完璧な女の子ですよ。いくら家の中ではプチ暴君の証二郎でもね」
「それにしてもクリス、あの子はなんであんなに怒ってるの?」
 レナが首をかしげる。普段から感情的な次男ではあるが、その理由が見当もつかない。
「ああ、あれですか。そうなんですよ、僕にもよく分からないんです。アンジェは《狩り》にかけては絶対の自信を持ってる子ですから。本村家に他家の手助けなど必要ない、そう言い張ってましたからね。でも、相手が西の水無月の姉弟だと知ると、『ふーん、じゃあ別にいいよ』の一言でしたから・・・」
「・・・水無月家と面識は?」
「いいえ、僕はまったく。・・・あれ・・・?」
 光の言葉にふと考え込むクリス。そして思い出したように倫子が言葉を繋いだ。
「そういえば、兄さんがまだ生きてた頃、アンジェを連れて京都に行かなかった?」
「・・・そう、そうね、行ったわ。まだ礼二郎(れいじろう)さんが元気な頃、あの子を連れて《知の賢者》様に会いに・・・」
 倫子の言葉にレナもうなづく。兄弟の父・礼二郎が亡くなったのはその直後だったと記憶している。
「水無月家と、何かあったのかしら・・・」
 見目麗しいレナの表情が曇った。我が子を心配する瞳。クリスは彼女の膝を優しくさすった。
「大丈夫ですよ、レナ。僕もいますから、無茶はさせません。それになにより、あの子自身がよくわかっています。現在僕達本村兄弟が置かれた立場、というものを・・・」
 不意にクリスが立ち上がる。
「叔父上」
「どうした?」
「気が変わりました。明日、復学の手続きに行きます」
 その表情はいつもの貴公子然としたやわらかなものではなく、瞳の奥に熱い炎を秘めたどこか不敵な微笑みだった。





 

あ〜、久しぶりに書いたぁ・・・(^_^;) シブヤチーム、2ヶ月ぶりの連載再開です。本村家の皆様、ほぼ揃い踏みなので、登場人物が多すぎ・・・。微妙に初期と設定変わってるんで、書いてる本人も訳わからなくなりそうなので、また近いうちにキャラクタープロフィールを別添いたしますです。
てか、さっさと天使ちゃんの秘密バラしちゃったし・・・! まあ、もう少し引っ張ろうかとも思ったんだけど。まあ、アレです『男の娘』ってヤツですよ。本人別に心が女の子って訳でもないんで、完全に趣味、ですね。ていうかマジで女の子にしか見えません。そこいらの娘さん達より数段かわいいです。もちろんアンジェ自身楽しんでやってます。ツッコミ所は満載なのですが、まあ、そこはそれ、フィクションですから! あ、逃げた・・・(苦笑)。
んじゃ、次回こそ、ご対面? わかりませんっ(爆)!


更新日:
2009/05/23(土)